日本マーケットシェア事典2011年版巻頭言より

既定の外部条件から自らを解き放ち、再び輝きを

(株)矢野経済研究所 代表取締役社長 水越 孝

意思決定における主体性を確保し、自社の中核的価値の最大化を目指せ

昨年6月、政府は、高速道路、高速鉄道、港湾施設、上下水道施設など都市インフラのパッケージ型輸出を、アジア展開における国家戦略プロジェクトとする「新成長戦略」を閣議決定した。この中でとりわけ、話題になったのが“水”ビジネスである。経済産業省の推計によると2025年における民営化された海外の水ビジネス市場は、2007年の約2.4倍、87兆円に拡大するという。世界レベルにおける人口の増加、工業用水や安心安全な水需要の拡大を背景に、確実に成長が見込める巨大市場として注目が集まる。

もともと日本企業はこの分野における技術水準において世界のトップをゆく。日東電工、東レを筆頭とする日本企業の水処理膜は世界シェアの5割を押さえる。海水淡水化、超純水製造、ポンプ、耐震、漏水防止技術や下水再生などの分野においても日系メーカーの技術力は群を抜く。

ところが、海外ではプラントの設計から建設、資材調達、運営・管理までを一貫して受託できる事業主体(=プライムコントラクター)が求められており、この分野では国際水メジャーと呼ばれるヴェオリア(仏)やスエズ(仏)、テムズウォーター(英)などが競争優位を確立している。

そして、この文脈において「日本は要素技術には強いものの、あくまでも資材や装置の納入業者に過ぎず、事業権全体を獲得しインフラの建設から運営・管理までを一手に手がける水メジャーの後塵を拝している」との批判がなされる。

政府の「新成長戦略」は、こうした現状認識を踏まえ、官民一体のオールジャパン体制のもと和製プライムコントラクターを育成、海外市場への進出を支援し、水ビジネスにおける国際競争力を強化するというものである。国家間の国際競争を有利に展開するためにもこうした取り組みは歓迎だ。しかしながら、「オールジャパン」と「87兆円」だけが個々の企業の事業条件ではない。

ある環境関連企業の役員に“官製オールジャパン”について問うたところ、彼は即座に「コストだ」と回答した。

新興国における低コストニーズに対応するためには現地のコスト構造の中で柔軟に供給システムを構築する必要がある。そして、こうした事業条件の中で確かな利益を獲得するためには自社の中核的な価値を最大化させ得る最適なビジネスモデルを選択すべきである。プライムコントラクターであることがすべての企業の戦略的方向性ではないし、何よりも意思決定の迅速さが求められるグローバル市場にあって、経営判断の主体性が失われる方がリスクである、と言うことであろう。

例えば、水処理膜トップ、日東電工の水処理関連売上高は約170億円※であるが、これは総売上高6019億円の8.6%を占める「機能材料部門」セグメントにおける“高分子分離膜事業”としての実績数値である(2010年3月期実績)。
※当社資料「2010主要環境関連企業の設備インフラビジネスの現状と将来展望」より

つまり、 同社の水ビジネスは高度な高分子膜分離技術の適用分野の1つであって、すなわち水ビジネス87兆円という視点からのみ語られるべきものではない。

凡そ売上高6000億円、研究開発費200億円、経常利益600億円という業容のメーカーにとっての、1セグメントの、1需要分野であり、言い換えれば、この業容における事業可能性と投資リスクにおいて同社のビジネスモデルは最適化される。もちろん、総需要の大きさと成長性を前提としたビッグ・プロジェクトへの参画メリットは大きいだろう。しかしながら、個々の企業においては自社経営資源の事業可能性をいかに追求するかが優先されるべきであり、その際、意思決定における外部要件からの制約は最小化すべきである。つまり、圧倒的に差別化された強みを有する企業にとって、“官製オールジャパン”の中に埋もれてしまうことはむしろ営業機会の遺失につながる可能性があるということだ。

危機を乗り越え、新たな未来を取り戻すために

日米同盟、領土、資源、為替、日中関係、中東・北アフリカ情勢、、、私たちが所与の外部条件として仮定してきた“安定”はいとも簡単にその脆弱さを露呈させた。いや世界全体が新たなステージに移りつつあると言うべきかもしれない。

変化がもたらす脅威を機会に置き換えるためにも企業そして個人は、それぞれが生きてゆくための外部条件の弾性値をこれまで以上に高めてゆく必要がある。すなわち、特定の条件(例えば国家)からの制約を可能な限り希薄化させてゆく必要がある。

やがて、その必然として勝者とエリートは国家という枠組みから徐々に離脱してゆくことになるだろう。国家にとっては市場から置き去りにされるのか、市場に隷属するのか、重大な危機の始まりと言える。その先の自身の有り様についての展望、すなわちビジョンを、国民そして世界に対して明確に示す必要がある。

この3年間、我々は「リーマン・ショックに端を発する景気低迷、、、」という陳腐なフレーズを繰り返し自身に言い聞かせることで進行する事態の本質と向き合うことを回避してきたのではないか。日本という既定条件の中で情緒的な共感を求め合っているだけはもはや市場で生き残ることは出来ないし、日本もまた自身の未来を見失うこととなる。

「東北太平洋沖地震」がもたらした未曾有の国難は、しかしながら、その復興のプロセスにおいて必ずや『従来の既得権益から解き放たれた新たな地域経済』、『グローバリゼーションの中に自立した地域産業』を確立する契機となった、と記憶されるはずだ。

私たちは“政治主導”の名を借りた「リヴァイアサン」(トーマス・ホッブズ)の登場など期待していない。外部環境という流動的で、相対的な関係性の中にあって、自らを最適化する競争条件を自らの意志と責任において手繰り寄せれば良いのだ。

そして、唯一そうすることで日本もまたその輝きと未来を取り戻すことが出来るものと信じる。

(2011年3月)

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