日本マーケットシェア事典2012年版巻頭言より

旧来の“絆”を断って、新たなステージへ

(株)矢野経済研究所 代表取締役社長 水越 孝

日本製造業の底力と成長可能性~ コスト連鎖型サプライチェーンからの脱却を急げ

1 月25 日、財務省は2011 年の貿易収支が2兆4927 億円の赤字となったと発表(貿易統計速報)、メディアはこれを「31 年ぶりの貿易赤字」「輸出大国の終焉」と衝撃的に伝えた。しかし、輸出の減少はわずかに前年比▲2.7%である。自動車、電子部品の主力2品目がそれぞれ▲10.6%、▲14.2%と大幅に落ち込んだことが主要因であるが、内外の災害と極端な円高という特殊要因を鑑みるとむしろ健闘と言っていいだろう。もちろん輸出競争力の低下は一時的なものではない。ただ、「構造的」という意味においては、むしろ10 兆円を越える所得収支の黒字、とりわけ、証券投資収益の減少と直接投資からの収益拡大に注目したい。

貿易統計速報が公表される約1 週間前、トヨタの豊田章男社長は「新型カムリ」の発表会に出席するため訪韓した。言うまでもなく、米韓FTA の発効にあわせてのタイミングである。韓国市場に投入されるカムリは米国のケンタッキー工場製で、旧モデルに比べると価格は100 万ウォン抑えられている。FTA の発効を目前にしてトップ自らが営業の最前線に立ったことの戦略的意味は大きい。

グローバル化とはまさにこうした事態が個々の企業の合理性において進展することである。したがって、国家という枠組みで捉えられた統計数字を解釈するための“価値観”は、両者において必ずしも一致しない。

日本企業のグローバル化は確実に進展している。日系の海外現地法人の売上総額は既に165 兆円を越え、7 兆円もの経常利益を稼ぎ出す。これは国内全法人売上高の12%、経常利益の22%に達する。そして、これら海外現地法人における日本国内向け販売比率は2 割を、同様に日本国内からの調達比率も既に3 割を割り込んでいる(経済産業省、第40 回海外事業活動基本調査より)。また、前記した直接投資からの収益拡大はアジア向け直接投資が牽引しており、これらの統計から浮かび上がってくるのは実体経済の健全なグローバル化の様相であろう。

実際、製造業そのもののポテンシャルが失われたわけではない。2011 年にあっても「金属加工機械」分野は前年比32.5%という輸出増を記録している(貿易統計速報)。また、東日本の被災が日本製造業の存在感をあらためて世界に認識させたことも承知のとおりである。

一方、震災は国内ものづくり産業が抱える構造的な問題も露呈させた。調達サイドの視点では特定取引先に対する過度の集中、供給サイドにおいては生産効率向上のための拠点集約が経営リスクとして顕在化した。ただ、より本質的な問題はそもそもサプライチェーン全体が利益を出せない構造になっていることであろう。

そして、ルネサスエレクトロニクスがこれを象徴する。売上規模で9460 億円(単体)、自動車用マイコンで世界シェア44%を誇り、トヨタをはじめとする取引先から述べ8 万人のエンジニアが復旧支援に駆けつけるほどの重要部品を供給する同社が、その価値に相応の利益を計上出来ていない。同社をもってしても営業赤字であるとすれば、ものづくりサプライチェーンの末端を担う中小製造業の状況は推して知るべし、である。

日本製造業の競争基盤が高い技術力を有する中小製造業の厚みにあることに異論はない。しかしながら、多くの中小ものづくり企業は結果的にリスクとコストのバッファとしての機能に押し止められており、高度成長期の発想から根本的に転換出来ない中小企業行政がこれを方向づけている。まさにベンチャーが育たない土壌と同根である。

もちろん、中小企業の海外進出も急速に拡大している。しかしながら、既存のサプライチェーンに組み込まれたままの移転では質的な意味でグローバル化とは言えない。

中国企業の途上国への対外投資額は右肩上がりで拡大しているが、その内訳の変化に注目すべきだ。資源開発を中心とした大型案件に加え、繊維、アパレル製品、雑貨といった労働集約型の中小企業が新規市場開拓をはかるべくアフリカ、旧東欧、中東諸国へ続々進出していると言う。そもそも、外資の導入を梃子にグローバル市場の中で成長してきた中国のものづくり企業は、それゆえ「コスト」優位の喪失に対する危機感がより深刻であるということである。

翻って、良質かつ成熟した内需の中にバランスしてきた日本の製造業は、結果的にそこに固定的に組み込まれたサプライチェーンとともにグローバル市場における競争力を低下させてしまった。

個々の企業力や独創性が中国や新興国のものづくり企業に劣るわけではあるまい。ましてや技術における優位は当面は維持されよう。しかし、自慢の技術も利益を生まない市場にあっては意味がない。コストではなく付加価値の連鎖として機能するサプライチェーンに新たな事業機会を見出す必要がある。既存取引先の外に自社技術の応用領域と成長可能性を見出すこと、そして、自身の技術が価値の連鎖の起点となることを目指すべきであろう。

国家の成長ビジョンの不在を嘆き、一方でTPP に期待を寄せるだけでは競争を勝ち抜くことは出来ない。ましてや“絆”では何も解決しない。常に新たな下限を要求し続けるコスト連鎖型サプライチェーンからの離脱こそがものづくり企業の課題であり、旧来の事業を条件づけてきた枠組み、すなわち、“絆”からの脱却を急ぐ必要がある。

「私たちはなにやらアメリカの秋のようなものの中にいる」(レベッカ・ソルニット)、ウォール街の占拠運動において発せられた言葉は印象的だ(「99%の反乱」Yes!Magazine 編より)。グローバリゼーションは新たなフェイズに移りつつあるのかもしれない。

国家や社会と時に対立し、時に共謀し、膨張してきたグローバリゼーションはそれゆえに強烈な矛盾と反動を抱え込んでいる。終わらないアラブの春、99%の反乱、EU の危機はその綻びの端緒に過ぎない。それでも我々は歩みを止めることは出来ない。であれば、“絆”に閉じるのではなく、未来へつなぐための新たな価値を、世界の多様性の中に見出してゆきたい。

(2012年3月)