アナリストeyes

パチンコは〝大衆娯楽〟なのか

2013年10月
主任研究員 秋山 大介

自身が所属するチームはパチンコを中心としたレジャーを専門領域としている。そのため、個人的にもパチンコで遊ぶことがあるわけだが、この数年、自身の周りを見渡してもパチンコ(パチスロ)で遊ぶ友人知人が極少数になっていることに、ふと気づく。 ・・・〝大衆娯楽〟だったはずだが・・・!?

今から遡ること80余年前、日本で最初のパチンコ店が名古屋の地で開業したとされる。以来、〝娯楽の王様〟として庶民を楽しませ、老若男女を問わずの身近な余暇として成長を果たしてきた。趣味趣向が多様化細分化した現在では〝王様〟とはさすがに言えないが、それでも〝大衆娯楽〟としての地位は健在であったはずだ。全国には約12,000店舗のパチンコホールが存在しており、街なかでは交番を探すよりも用意なほどの軒数が点在している。しかし、ちょうど10年前の1994年には約18,000店が存在していることから、この10年で大幅に数を減らした。また、レジャー白書2013によるパチンコの参加人口は1,110万人と推計され、同じく10年前には約2,900万人の参加人口が試算されていたことからすれば、半減以下にまで減少していることが分かる。

既に数十年の歴史を持つレジャーであるから、まさか〝ブームが過ぎたから〟というわけでもないだろう。一体、パチンコ産業には何が起こっているのだろうか。

大衆娯楽〟産業から〝高コスト〟産業へ!?

レジャー白書2013によるパチンコの2012年の市場規模(パチンコホールの貸し玉/メダル料=ファンが遊んだ金額、の試算)は約19兆円と巨大である。《弊社調査による遊技機とパチンコホールの店舗設備機器の2012年度の市場規模は約1兆3,772億円(遊技機1兆2,029億円/店舗設備機器1,743億円)であり、こちらもまたかなりの規模である。》

上述のパチンコの市場規模は1989年には15兆円程度と推計されていたが、以降、毎年成長を続けて1994年には30兆円の大台に達することとなる。これ以降〝パチンコ・30兆円の巨大産業〟と呼ばれることとなるわけだが、その一方で、規模の巨大さがことさらにクローズアップされるようになり、同時に遊技機メーカー、パチンコホールを巻き込んだ高度な企業間競争の時代に突入していく。パチンコ機(パチスロ機)は液晶画面での高画質映像とサウンド、更にはデザイン性の優れたフィギュアなどアナログ的な魅力を兼ね備え、デジタルとアナログが絡み合う〝高額〟なエンターテインメントマシンとなった。また、そのゲーム性も〝玉が跳ぶ、入る、当たる〟といった単純なものではなく、素人の理解は一見して難しい複雑難解なものへと変貌を遂げる。一方のパチンコホールでは、数百台から1,000台超の遊技機を設置する大型のアミューズメント施設が急増し、巨額の初期投資とランニングコストが伴う高コスト業種の代表格になったと言える。その高コスト体質を支えるべく、遊技機の仕様は娯楽の域を逸脱しかねないギャンブル的な要素を追及していくわけだが、かたやファンにおいてもハイリスク/ハイリターンの遊技機を求め、高コスト化の流れに図らずも呼応した側面があるのではないだろうか。こうしてパチンコ産業は徐々に〝大衆娯楽〟から離れ、特定のヘビーなファンが嗜む娯楽となってしまったのではないだろうか。

大衆娯楽〟への復権なるか

不安定な景気動向、少子高齢化など人口構造の変容、準拠する法令/規則の改正による制限など、当産業の厳しい環境の原因を解説する事象として外的な要因が多く取り沙汰される。しかし、その根底にはパチンコ産業みずからの質的変化が大きく影響しており、多様化し細分化が進んだレジャーの潮流に対応しきれていない状況が、今の業界不振の本質的原因なのではないだろうか。

パチンコ産業と社会とのリレーションは急速に希薄化しつつある。大衆娯楽への〝回帰〟のみでなく、間口が広く奥行きが深い、多様なニーズに応えられる娯楽像を再び〝創造〟していく必要があり、産業全体で具体的に行動を起こす時期に差し掛かっているのではないだろうか。

研究員紹介

秋山 大介(主任研究員)

2005年に矢野経済研究所入社。以来、パチンコ産業を中心としたレジャー分野を担当する。
遊技機メーカー、設備機器メーカー、パチンコホールなど、多くのクライアントをサポートする。