オーダーメイド医療の方向性


人間の個性は才能についてだけでなく、病気の治療においても近年非常に着目されている。オーダーメイド医療、テーラーメイド医療などと呼ばれる診療方法がそれである。がん疾患を中心にオーダーメイド医療の研究や応用が進められてきた。というのも、日本人の死亡原因の第1位は1981年以来一貫してがんだということがその背景にある。2008年の1年間に死亡した人の数は114万人余りだが、そのうち34万2849人ががんで亡くなっている。全死亡者に占める割合は30.0%なのでおよそ3人に1人ががん原因で死亡している勘定になる(厚生労働省 人口動態統計月報年計)。

この薬、この処方で自分の病気は治るのか?

がんの治療には、巷間知られているように、手術、放射線治療、化学療法(抗がん剤治療)といった方法があるが、集学的治療の拡大、治療効果の高い製品の相次ぐ上市などを背景に、近年、抗がん剤の役割が増えてきたという指摘がある。他方、化学療法では効果がなく副作用のみ発生するというケースもある。薬剤(抗がん剤)感受性試験による有効性判断の水準は高まってきてはいるものの、患者にとって効く抗がん剤を選び出す手段としてまだ完全とは言えないのが実状である。
こうした中、オーダーメイド医療の実現に期待が寄せられている。薬剤は少なからず副作用が生じることがあるものの、どのような患者に副作用が生じるのか、副作用を生じる(恐れのある)投与量や投与期間を予測し、重篤な副作用を回避する―患者さん一人一人にあった投薬―の実現が現実的な課題、目標として視野に入りつつある。
薬剤の効果や副作用は多くの場合、遺伝子の型(タイプ)に影響されることが解明されつつあり、ゲノム情報に基づくオーダーメイド医療においては遺伝子検査が方法論としては重要な役割を担うことになる。
また、抗がん剤の薬効や副作用(有害事象)の治療前予測には、薬効などに関わる遺伝子の個人差(遺伝子多型)を明らかにすることがまず求められる。一般に遺伝子多型は、1塩基の変異有無において野生型、ホモ変異型、ヘテロ型に3分類される。たとえばCytochrome P450などの薬剤代謝酵素遺伝子で変異型の遺伝子を有する場合、正常な機能を持つ代謝酵素が産生されず、薬剤の血中濃度が高くなり、副作用が強く出る可能性が高いとの検査結果を得ることが予想され、結果として投薬回避という判断に至ることが考えられる。また遺伝子多型はDNAで判定することから、体細胞において恒常的に検査することが可能であり、遺伝子多型と薬剤感受性との関連について新たな知見の蓄積が進み、有用な遺伝子情報が将来見出された際には既に採取しているDNAによって有効性等を判断することが可能である。
DNAの二重らせん構造の発見(1953年)からヒトゲノムの全塩基配列を解析するヒトゲノムプロジェクトを経て今日に至るまでわずか60年足らずの間に、遺伝子解析からオーダーメイド医療への道筋が見えてきたのも、ゲノムシークエンス技術の急速な進歩に拠るところが大きい。ヒトゲノム解読後の、ポストゲノムでは多くの遺伝子についてその多型を検索する動きが活発に展開されており、それが個人の遺伝的背景や体質を考慮した治療に結びつけば有害事象を避け、無効な治療行為を排除し、効果的・効率的な医療に結びつくものと期待されている。

オーダーメイド医療の本格的な展開を後押しする

国も「オーダーメイド医療実現化プロジェクト」等の政策を通じ、個別化医療の実現を後押ししている。このプロジェクトでは、バイオバンクに集めた30万症例分のDNAおよび血清試料を利用して、SNPと薬剤の効果や副作用、あるいは疾患との関係などを解明し、オーダーメイド医療を実現するための基盤整備が行われている。規模的には2003~2007年度の5年間(第1期)で200億円以上と大型のプロジェクトとなった。2008年からは第2期として期間がさらに5年間延長された。66の協力医療機関を含む組織体制でプロジェクトが推進されている。
国ばかりでなく、医療機関でもオーダーメイド医療への積極的、組織的な取り組みが見られる。三重大学医学部附属病院はその一例だ。同病院では2005年11月、「オーダーメイド医療」の語を冠したわが国初のオーダーメイド医療部を新設。遺伝子疾患の遺伝子診断や癌の遺伝子診断と共に、“患者一人一人に最適の薬を選択する”オーダーメイド薬物療法(薬剤感受性遺伝子酵素の遺伝子解析)を行っている。オーダーメイド薬物療法の実践としては、生体肝移植に伴うCYP3A5の遺伝子多型解析を通じた免疫抑制剤の選択、H.pylori除菌療法におけるプロトンポンプ阻害剤(PPI)の効果と適量の決定などがある。
治療方法も規格化からカスタマイズへという流れは、他の先進国も同様であり、特にオバマ政権発足後の米国は医療の個別化に意欲的な対応を見せている。と言うのも、オバマ大統領は上院議員時代の2006年、全国民のDNAをデータベース化し遺伝子レベルで一人一人に適した医療の提供を提案した法案”Genomics and Personalized Medicine Act of 2006″という法案を提出した経緯があり、加えて国立衛生研究所(NIH)の長官にヒト・ゲノムプロジェクトの元責任者を任命するなど、政権のオーダーメイド医療推進の姿勢が垣間見られる状況にある。

1人2分でゲノム解読、数万円

他方、政治的な流れとは別に、技術の進化や装置・システムの改変が市場の方向性に大きな影響を与えることも頻々目にすることである。いわゆる次世代、次々世代シーケンサーはその1つであろう。塩基情報の解読速度は、ヒトゲノムプロジェクトでのヒトゲノム完全解読以降も急速に向上し、1日で解読可能な塩基の数が10億(ギガ)レベルを超え、テラ(兆)の領域に踏み込もうとしている。最新最速のシーケンサーでは1日で2.4兆塩基の解読が可能とされているが、ヒトゲノムはおよそ30億塩基なので計算上はヒト1人につき2分足らずで読み切れることになる。解読コストも10年前に比べ1000分の1程度まで下がっており、速度の向上が更なるコスト低減につながり1人あたり数万円程度に抑えられれば臨床応用の可能性も相当高まってくる。「次世代」のギガ級シーケンサーは欧米や中国を中心にまだ普及・拡大の過程にあると見られるが、日本では東京大学や理化学研究所など導入数はまだ数えるほどの状況である。
がん患者数の増加傾向は当分続き、オーダーメイド医療の対象に生活習慣病などがん以外の疾患が加えられていくことを考えると、シーケンサー導入や研究・臨床応用支援の政策導入を始め、オーダーメイド医療の本格的な臨床展開に向け基盤整備の余地はまだかなりあると言えるのではないだろうか。

2010年4月 主席研究員 早川 賢


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