2019年 対立と調整、未来の再分配に向けて

新年おめでとうございます。
年頭にあたり謹んでご挨拶を申し上げます。

株式会社矢野経済研究所
代表取締役社長 水越 孝

新たなルールづくりがはじまった

“見えてきた未来の輪郭をより確かなものに”、これは本稿の昨年の主題である。人工知能(AI)、自動運転、EV、新エネルギー、5G、再生医療、、、起業家や研究者の将来ビジョンとして描かれてきた未来は、具体的な予算をもった現実の産業政策、事業戦略に落とし込まれた。テクノロジーの方向性、言い換えれば、未来に向けての競争条件は国境、業種を越えて整った。“迷いは消えた、さあ、遅れるな”、ということだ。

一方、反動も大きい。テクノロジーとは、言わば「物理的な世界に人間が及ぼす影響」である。ゆえに「異文化同化の渦」の起点となり、やがて、「世界中のコミュニティを一掃し、一変させ、思想や言語に影響を及ぼす」(絶滅できない動物たち、M・R・オコナー、大下英津子訳より※)。
今、そのせめぎ合いが始まった。反動はグローバリズムvs国民国家、エリートvs大衆、国際協調主義vs自国第一主義という形で先鋭化する。
まずはデジタル課税。ターゲットはグローバルIT企業だ。国境を越えて彼らが稼ぎ出す莫大な利益に対する納税額が見合わない。既存税制の隙をつくビジネスモデルへの批判が高まる中、国際的な課税ルールの検討が始まった。しかし、調整は難航、しびれを切らせたイギリス、フランスは独自課税に踏み切る。広告、通販、検索エンジン、個人情報売買等の売上に2~3%程度の税を課す。国別のサービス利用に対して課税することで巨大プラットフォーマーを有する米中による税収独占を防ぐ。スペインなど欧州各国も導入に前向きだ。二重課税、自由な事業発想への制約といった懸念もある。しかし、消費地からの“アンフェア”感はそれを上回る。言わば“国民国家による税収の奪還”である。

次に「データ流通圏」構想である。欧州、米国、日本は国境を越えたデータ流通の共通ルールづくりに着手した。個人情報、産業情報の管理について一定以上のセキュリティと保護制度が整備されている国家間で政府間合意を締結、データの安全な流通と利活用を支援、促進する。一方、情報の不正利用や流出が懸念される国に対してはデータ移転を厳しく制限するとともに違反企業には課徴金を課す。念頭にあるのは中国、ロシアであり、その意味で「データ流通圏」とはCyber- Geopoliticsという視点からの新たな安全保障条約である。ファーウェイ問題の本質もここにある。

そして、倫理からの警鐘だ。11月、中国の研究者がゲノム編集技術で双子を誕生させた。しかし、この科学的な“成果”は世界の各層から「してはならない実験」として批判を浴びることとなった。先端技術に対する楽観はあらためて釘を刺された。
12月、欧州委員会は「信頼できるAIを実現するための必要条件」と題した倫理指針を発表した。責任の所在の明示、偏見の創出や拡大の回避、AIによる判断誘導リスクの周知、人間の監視の確保、といった10項目が提示された。ロボット兵器や国民格付けに関する判断は留保されたが、AIの効用を最大化するためには、人間中心のアプローチが目指されるべきである、と結論づけられた。
AIには常に不安と不信がつきまとう。指針は社会一般のこうした懸念に応える目的もあったろう。加えて、国際ルールづくりを主導したいEUの狙いも見え隠れする。いずれにせよAIの実用化の進展は一方で、技術の一人歩きに対する社会の側からの警戒を呼び起こしつつある。倫理に関する議論と模索は始まったばかりだ。

世界についての考え方を変えてみよう

英国では合意なき離脱リスクが高まる。マクロン改革は大衆に拒否された。EUの支柱メルケル氏は選挙で敗北、APECも首脳宣言を出せずに閉幕した。今、多国間協調の求心力は急速に低下しつつある。その潮流に共通するのは過度なグローバリズムへの反発であり、遠心力のドライバーは米国である。

しかし、そもそも世界に新自由主義を拡散させ、大企業とエリートを国家の枠組みから解き放ったのも米国だ。であれば米国自身の逆回転はグローバリズムに取り残された米企業と米国民による“調整期”と見ることも出来よう。トランプ氏という劇薬は世界が共有してきた理想や建前に潜んだ矛盾をあぶり出す。むき出しの下品さには辟易するが、彼の治世は“その先”に向けての言わば「踊り場」である。世界は立ち止まり、未来からの視点で修正され、再び関係づけられる。12月、パリ協定の運用指針が議論されたCOP24の実務者会議で「ルールは各国共通であるべき」と主張したのは離脱を表明している米国だ。彼らは“その先”を視野に入れている。米国の非国家アクター「We Are Still In(私たちはパリ協定に留まる)」の名称に込められたメッセージが象徴的だ。

1933年、生物学者A・レオポルド氏は「人間が自然を占有する影響を抑制するのはもはや手遅れ」と喝破した。そして、「未来への希望は、その影響の範囲と、統治する新しい倫理を理解する空気を醸成する」ことにかかっていると述べた(前掲※より)。そう、世界にはこれまでの延長とは異なる存在様式があるはずだ。「踊り場」はそれを見つけ出す絶好の機会である。

本年もご指導、ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。