アナリストeyes

巨大市場インドに見る光と陰〜日本企業が打つべき施策とは何か〜

2013年5月
主任研究員 小野寺 晋

インド経済発展の経緯

80年代まで対外的に閉鎖的な政策を継続し、低成長国家の歴史を辿ってきたインドは、経済自由化政策のもと1990年代には経済改革及び外資への市場開放が図られ、これまで規制により非効率であった労働や資本等の生産要素が有効に機能することで労働生産性が向上し飛躍的な経済成長を実現した。

その経済成長の牽引役となったのは、サービス業である。事実、インドの実質GDPにおける産業別構成を見てみても、2011~12年金額ベースでサービス業が66.8%と約7割を占め(農業は14.0%、工業<製造業含む>は19.2%)(※1)、また、その中心はIT産業であり、専門的な高等教育を受けた優秀な人材の存在と、米国と欧州の間に位置するというインドの地理的優位性をいかし、オフショアのデータセンターとして発展し、インドの経済成長に大きく貢献してきた。近年では、高い購買力及び様々なニーズを有する消費者層が大都市を中心に急増し、消費構造の変革がすすんでおり、サービス業では、中核であるITサービスに加え、多くの業種で成長率が高まっている状況である。

また一方で、近年、将来の更なる経済成長の布石として、インド政府による製造業の振興政策も打ち出されており、経済特区(SEZ)よりもはるかに大規模な「国家製造・投資区(NMIZ)」を核に外資導入を促進していく方針である。現在、各国及び主要経済圏との間ですすめられている種々の経済連携協定の活用及び実現を追い風に、インド国内における内販に加えて、加工貿易のビジネスモデルの構築、拡大が図れることが予測されているところである。

(※1)Central Statistical Organisation, Economic Survey2011-12

インド市場の魅力

インド市場の魅力を語る上でまず注目したい点は「①豊富な人口及び長期にわたる人口ボーナス期(※2)」である。インドの人口は現在約12億人で中国に続き世界第2位。しかし今後人口は増加し続け、2025年には約14億人に達し世界最大の人口規模になると予測されている。更にインド経済の強みの一つとも言われていることが“若い人口構成”である。インドにおける生産年齢人口(15歳~64歳)の比率は約65%(※3)と大きく、従属人口(0歳~14歳)と老年人口(65歳以上)の比率が小さいのが特徴である。つまり、労働者1人当たりが支える人口が少ないことから、経済成長しやすい環境(人口ボーナスがあるという環境)が存在し、更にその期間が今後30年以上と長く、持続的な経済成長を可能にする土台を有していることが最大のメリットとなっている。但し、今後このメリットを実際の経済成長に繋げていくには、増え続ける労働人口を吸収するための“新たな雇用の創出”、更に、雇用された労働者の生産的な活動を実現する“基礎的な教育・人材育成”が絶対不可欠であり、インドの産学官及び海外企業との連携も含めた包括的な取り組みが必要とされている。

(※2)人口ボーナス期:生産年齢人口と呼ばれる15歳~64歳の人口が増え続ける期間
(※3)国連資料

また、インド市場の魅力として2つ目に挙げられるのが、「②都市化の加速及び地方都市の成長」である。近年、高い経済成長を背景に、農村部から主要都市へと人口が流れ込む都市化の動きが加速。都市部及び周辺の交通インフラの整備、不動産開発が急ピッチですすみ、更に新しい生活圏の誕生によって商業セクターの開発も促進され、内需拡大を促す原動力となっている。更に、“都市化の加速”に付随してインド国内では“地方都市の成長”が顕著となりつつある。その大きな要因は、“政府による開発政策”と“企業の活動”が地方都市にまで拡大していることが挙げられる。“政府による開発政策”においては、都市発展を促進するための補助金制度が挙げられ、これまで主要都市のTier1都市群(※4)のみが対象であったものが、地方都市のTier2都市群(※5)にも広がりを見せ、都市開発に拍車をかけている状況である。また更に、その都市開発に乗じて地方マーケットにおける市場優位性の確保、または、そこに労働力を求める動きが強まり、同マーケットへの企業の進出が加速。新たな雇用の場を創出することで人口、更に所得が向上し、結果、地方都市の成長に繋がっている。

(※4)Tier1都市群:人口400万人以上の都市群
(※5)Tier2都市群:人口100万人以上400万人未満の都市群

また、3つ目のインド市場の魅力として、「③消費意欲旺盛な中間層の拡大」が挙げられる。前述の1990年代以降の経済自由化政策の恩恵として、国内の経済が急成長し、都市部においては富裕層が出現。また、更に近年ではその後に続く“消費意欲旺盛な中間層(※6)の拡大”も相まって、インドは消費市場としても大きなポテンシャルを秘めた有望市場に変貌を遂げつつある。インド国立応用経済研究所(NCAER)の調査結果によると、2005年時点でのインド国内の全世帯数に占める中間層世帯数の割合はわずか4%であったのに対し、2015年(推計値)では同19%、2025年(推計値)には同32%まで拡大することが予測されている。また、最近では、“ローコスト商品市場の拡大”及び“印僑(在外インド人)からの国内送金の拡大”により中間層の下の“新中間層”の拡大も顕著となりつつあり、更に富裕層予備軍の“アッパーミドル層”の増加も同時進行する中、インド国内において“分厚い中間層”が徐々に形成されつつある。

(※6)中間層:平均世帯年収が20万インドルピー~100万インドルピーの層(USドルで約3600~18000ドル)。NCAER資料の定義に準拠。

インド市場が抱える課題

潜在市場として大きな魅力を持つインド市場ではあるが、一方で企業が市場進出するにあたって障壁となる課題も存在する。その1つが「①未整備なインフラ」である。特に最も深刻なのが「電力部門」であり、“盗電”、“電気料金の未払い”、“電力関連インフラの老朽化”等によって電力の安定供給が阻害され、頻発する停電によって工場等の稼動コストが増加し企業の収益を圧迫している。また、道路、鉄道、港湾等の「物流インフラ」、更に、工業団地に代表される「産業インフラ」の整備も実際の企業活動における需要に供給(整備)が追いついていないのが現状である。日本の約9倍に相当する国土に大中小様々な消費市場が点在するインド市場においては、効率的なサプライチェーンの構築が企業の競争力に直結する状況の中、一刻も早い改善が望まれるところである。

2つ目の課題としてはインド特有の「②複雑な税制構造及び煩雑な税手続き」が挙げられ、中央政府と州政府の権限分離が経済活動に悪影響を及ぼしている典型的な事例でもある。特に、モノ及びサービスの輸入、売買、移動に課せられる“間接税”は、一連の取引過程で要求される税金の種類が多く、還付や相殺などの手続きも煩雑である。また、インド政府による頻繁な税制改定や税率の変更等による企業への負担増が大きな障害となっている。一方、こういった状況を背景に、複雑な税金の一元化をはかり、税制をよりシンプル化することでビジネスの効率化と参入機会の創出を図る目的のもと、「統一GST(Goods & Services Tax)」と呼ばれる新税制度の導入もインド政府により検討されており、同制度の導入によって“包括的なコストの削減”、“費用の可視化”、“物流の再編”、及び、“内販ビジネスの拡大”等が見込まれることから、早期の施行が待たれている状況である。

3つ目の課題は、「③多層構造の流通制度」である。インドの流通構造の特徴として、メーカーからエンドユーザーに辿り着くまでに、代理店、販売代理業者、仕入れ業者、卸売業者、仲介業者、小売業者等、多くの中間業者が存在していることが挙げられる。その背景としては、インド自体が言語、文化、習慣の違いによって35の州及び連邦直轄地に区分されており、様々な制度においても各州単位の運営に委ねられている現状がある。こういった状況下において、州を跨いだ全国展開をする大規模な流通業者は限定的であり、その大半は地域限定の中小規模企業によって占められている。このようにインド市場における販売網の構築及び拡大には、自社の取り扱う商品の性質、価格、販売地域など様々な条件を勘案した上で、適切な中間業者とともに、最適な流通経路を構築していく必要があり、ビジネスを軌道に乗せるまでの時間とコストのコントロールが必要となる。

インド市場進出にあたり日本企業が打つべき施策

こういったインド特有の市場環境の中、日本企業が打つべき施策とは何か。
まず挙げておきたいこととして「①事前の綿密な実行可能性調査(FS調査)の実施」である。インドへ進出する企業は、前述の様々なインド市場が抱える課題、すなわちビジネスリスクに起因するコスト負担及び事業化の可能性を“事前の綿密な実行可能性調査(FS調査)”によって明確にし、コスト負担をいかに最小限に抑え、実施可能な事業プランを構築できるかが参入の成否に大きく関わるものと考えられる。一方で、とかく成長市場の参入にあたって、競合企業に先んじてビジネスチャンスを獲得するために迅速な判断が求められるケースも存在するが、巨大且つ複雑な市場構造を擁するインド市場においては、重要なのはスピードではなく、事前の入念な市場の実態把握と進出する企業のビジネススケールに合わせた正確な経営判断が求められるのが現状であり、インド市場への進出は“迅速さ<正確さ”であることを強調しておきたい。

2つ目の施策として考えられるのが「②商品やサービスの現地化」である。事実、インド進出直近のビジネスは、いかに拡大する国内需要を獲得できるかである。インドの市場は成長段階にあり、日本企業が得意とする高性能・高品質のマーケットは限定的であることから、依然価格に敏感なボリュームゾーンの市場を開拓する上で、“商品やサービスの現地化”、更にそれを“実現する現地での事業体制の構築”、すなわち、日本企業がこれまで成功事例としてすすめてきた“プロダクトアウト型”ではなく、現地の消費者の特性やニーズの把握を優先、それに適した組織やサプライチェーンを構築する“マーケットイン型” での事業戦略の構築及び実施が必要不可欠となっている。

そして、三つ目の施策は、「③将来のインドプラスワンの発想に基づくサプライチェーンの構築」である。近年、グローバルサプライチェーンにおけるインドの潜在性に注目が集まり、“生産拠点・輸出拠点”としてのインドの魅力が高まっている。その背景にあるのが、ASEANをはじめ、多くの国や地域と結んでいるFTA(自由貿易協定)の積極的な推進である。最近の事例として挙げられるのが、東アジア地域包括的経済連携協定(RECP)である。これは、インド、日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランドの6カ国とASEANが保持する5つのFTAを束ねる広域的な包括的経済連携構想であり、RCEPが実現すれば、人口約34億人(世界の約半分)、GDP約20兆ドル(世界全体の約3割)、貿易総額10兆ドル(世界全体の約3割)を占める巨大経済圏が誕生することになる。さらに、インドとEU間との自由貿易協定(FTA)もすすめられる中、インドを“生産拠点・輸出拠点”とした第三国市場への進出の可能性が広がりつつある状況である。

また、インドの製造業という視点では、冒頭に述べた通り、インド政府による振興政策も打ち出され、経済特区(SEZ)よりもはるかに大規模な「国家製造・投資区(NMIZ)」を核に外資導入を促進していく方針である。また更に、貿易収支改善のために輸出を奨励し、輸出向けの工業団地建設または投資に対する減税措置も設定されている。

最後に、インドを軸としたグローバルサプラーチェーンの構築を論じる上で忘れてはならないのが“印僑”と呼ばれる在外インド人のネットワークである。特に、中東及びアフリカには現在2000万人超の印僑が在住しており、同エリアのビジネス牽引するような優秀な人材も数多く、彼らのプレゼンスは非常に高いことで知られている。インドに進出する企業にとっては、“直近のマーケット”という可能性に加えて、同エリア進出への“将来のパートナー”という可能性も同時に享受することで、インドを軸としたグローバルサプラーチェーンの構築及び同エリアでのビジネスの拡大も大いに期待されるところである。

研究員紹介

小野寺 晋(主任研究員)

外資系ブランド企業勤務を経て、矢野経済研究所入社。
以来、ファッションブランド(インポート、ライセンス)の他、時計、服飾雑貨業界の調査を担当。
現在では、ASEAN+N事業推進室にて、海外での業務経験を活かし、ASEAN及びインド、東欧などの新興国の市場調査業務及び進出支援コンサルティングを行なっている。