日本マーケットシェア事典2021年版巻頭言より

ポストコロナ、新たな分断を乗り越えるために未来の統合を

株式会社矢野経済研究所
代表取締役社長 水越 孝

加速する宇宙開発、その先に予見される共通課題に先手を!

2月18日、米航空宇宙局(NASA)の火星探査車「Perseverance」(忍耐)が火星に着陸した。NASAは火星地表の画像とともに“風の音”を公開、視覚と活字でしか思い描くことの出来なかった火星にあらためてロマンを掻き立てられた方も少なくないだろう。着陸地点は数十億年前に湖であったと考えられるクレーター、かつて水が流れていた可能性もあるという。とすると土壌や大気中に生命の痕跡を発見することが出来るかもしれない。期待は膨らむばかりだ。
宇宙開発、宇宙利用の動きが加速する。昨年5月には米スペースXの宇宙船「クルードラゴン」が有人フライトに成功、11月には国際宇宙ステーション(ISS)への往還輸送サービスを開始した。中国も勢いづく。12月に月面探査機「嫦娥5号」が月面試料のサンプルリターンに成功、2月には火星探査機「天間1号」が火星軌道に入り、5月の着陸を目指す。
日本も「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへの6年間、50億キロにおよぶ旅を終え、地球へ貴重な試料を持ち帰った。スペースXの「クルードラゴン」には野口聡一氏も搭乗、今秋には13年ぶりに日本人宇宙飛行士の募集も再開される。

もはや宇宙は「閉じた」市場ではない。開発、打ち上げ、探査、利用はもちろん、“有人”市場の拡大を想定すると、衣食住からレジャー、エンターテインメントまであらゆる分野にニーズがある。
一方、すでに“環境問題”も顕在化しつつある。地球周回軌道上には運用が終了した人工衛星が2600個以上、小さいものも含めると数十万個のデブリ(ごみ)が回っている。 今、地球はCO2に悲鳴をあげる。海は投棄されたプラスチックに苦しむ。産業革命の当時、はたしてこの未来を予見した者はいただろうか。宇宙の広大さは人類にとっては計り知れない。とは言え、月や火星までであれば人類の時間軸において、最良の未来を構想し、そこに先手を打つことは可能であろう。
昨秋、日本を含む8か国は米主導の「アルテミス合意」に署名した。アルテミス計画とは2024年に月面有人探査、2030年代に火星への有人探査を目指す国際プロジェクトである。今回の合意は計画推進に際して、宇宙の平和利用、相互運用、資源保全、デブリの削減などに関する共通原則を確認したものだ。
背景には中国を念頭に宇宙開発に関する国際ルールを主導したい米の戦略がある。しかし、環境問題がもはや全地球にとってのリスクであるように、ましてや宇宙にあっては米中対立など取るに足らない問題である。
何世代先の未来のことかは分からない。しかし、いつかやってくるであろう宇宙での取り返しのつかない事態を回避するためにも、中国はもちろんすべての関係国を宇宙開発の共通ルールに取り込むことの重要性は言うまでもない。

米中対立激化、価値観の違いを乗り越えるために

その中国を巻き込んだRCEPが発効に向けて動き出した。参加15ヵ国はそれぞれの国内手続きを開始、日本も国会承認を待つ段階だ。発効すれば世界のGDPの3割を占める広域経済圏がアジアに誕生する。
しかし、RCEPにあって、もっとも成長が期待されたミャンマーの民主主義は一夜にして崩壊した。米国はクーデターに対して制裁を警告、対する中国は「内政不干渉」の立場を貫く。香港、新疆ウイグル自治区、台湾、南シナ海、尖閣における中国の強硬姿勢もアジアの“分断”を予感させる。
2月、米バイデン政権はサプライチェーンにおける中国依存度を引き下げるための大統領令に署名した。前提となるのはアジアにおける同盟国との連携だ。世界最大規模の広域経済圏は発効前から亀裂が生じつつある。
トランプ氏が去り再び国際社会に戻ってきた米国は、それゆえに、臆面もなく自身の損得勘定に徹し続けることは出来ない。民主主義、人権、法の支配において安易な妥協はないだろう。
一方の中国も“核心的な利益”を放棄するとは考え難い。それぞれが己の正義を根拠とする対立は、いずれも後へ引けない状況に陥りやすい。“価値観”による断層が世界を分断、再編する可能性がある。

世界は未だパンデミックとの戦いの中にある。我々は、国境を跨ぐ人の移動を前提とした事業条件の危うさを、最大効率を追求したサプライチェーンの脆弱さを、最大収益が期待された成長市場への集中投資のリスクを思い知った。今、あらゆる業種業態で経営条件が書き換えられる。キーワードは分散とネットワークだ。グローバリゼーションはその流れの中で再構築されるだろう。
そう、グローバリゼーションに後退はない。ITがこれを後押しする。資本の寡占も止まらない。感染対策で水増しされた過剰流動がこれを加速する。財政出動の総額は14兆ドルを越えた。世界の公的債務の残高がGDPの総額に迫る中、富の偏在と財政の不安定さが世界で進行する。覇権的、独裁的な勢力はそこを梃に権益の強化、拡張を図る。

世界が再び開けた時、世界はどう再編されているか。ジョージ・オーウェルやマーガレット・アトウッドが小説の中に描いたような全体主義国家が覇者になっている世界は見たくない。では、どう行動すべきか。答えは至ってシンプルだ。強権的なるものへの追従、譲歩を断ち、自身の価値感に誠実であること、ここに尽きる。
対立と分断を解消するには、未来の統合が必要だ。対立の先にある未来とは異なる未来を示し、それを共有できるかが鍵だ。
NASAは前記した「Perseverance」(忍耐)に先行して2台の探査機を火星に送り込んでいる。「Curiosity」(好奇心)と「Insight」(洞察)だ。
今、我々に必要なことは、現実の中に可能性を探り(好奇心)、本質を見抜いて、未来を構想し(洞察)、その実現に向けて粘り強く行動すること(忍耐)、である。
問われているのは我々自身の覚悟と行動力である。

(2021年3月)