米民主党はヒラリー・クリントン氏を正式に大統領候補に指名、その政策綱領を発表した。内容はアメリカ至上主義を掲げる共和党候補トランプ氏への対抗を鮮明にするとともに、冨の再分配と格差是正を訴えたサンダース氏の主張を大幅に取り入れたものとなった。TPPについては否定的なスタンスを示唆しつつも、批准の可能性は残った。
日本政府にとっては、政策のベクトルが大きく異なるサンダース氏、予測不能なトランプ氏との比較においてヒラリー氏はもっとも好ましいはずだ。とりわけ、民主党が綱領に「日本に対する歴史的な責務を果たす」と明記したことは、日本もまた米国に対する歴史的な義務を負い続けることを前提とする現行日米同盟にとっての“外交的な成果”と言えるかもしれない。
一方のトランプ氏は、露プーチン大統領に「ヒラリー氏のメールをハッキングしてくれ」と呼びかけるなど相変わらずの“トランプ流”、トップリーダーとしての資質への疑念は消えない。とは言え、予備選中に彼が発してきた強烈な孤立主義指向は世界のバランスを大きく揺るがすインパクトを孕んでいる。それは混乱の発火点にもなり得るし、それゆえに現状打破を試みる者にとってチャンスと映る。トランプ氏が惹きつけるアメリカの軋みと不満が新たな過激主義へと転化、拡散することを懸念する。
鹿児島県知事に当選した三反園訓氏が川内原発の一時停止を8月内に申し入れることを表明した。地震の影響や活断層の状況に関する再点検を九州電力に要請するとともに住民の避難経路等について検証を行う。これらを通じて「県民の信頼は増す」と氏は説明する。
13日、原子力損害賠償・廃炉等支援機構は福島第1原発の廃炉について、「石棺方式」の可能性に言及した技術プランを発表した。これに対して地元は猛反発、20日、機構は直ちにこれを削除した。地元の反応は理解できる。しかし、「今後明らかになる内部状況に応じて柔軟な見直しを図る」ことこそ、「事故など起こりえない」ことへの妄信ゆえに防げなかった事故から学ぶべき教訓ではないか。
19日、筆者ははじめて福島第1原子力発電所を視察する機会を得た。自然そして核エネルギーの巨大さと、そこに向き合う人間の可能性と限界が縮図としてそこにあった。
現場はその責任の重さと作業の困難さを一身に負っている。現場の労に報いるためにも、私たちは当事者として原子力と向き合う必要がある。この問題に関する議論や判断の一切を政治や有識者の中に閉ざしてはならない。今、まさに国民一人一人がその責任を引き受ける覚悟が求められている。
参院選の結果を受け、政府は10兆円規模の経済対策の策定を指示した。目玉は、JR東海が進めるリニア中央新幹線の大阪延伸の前倒しである。加えて、訪日観光客拡大のための港湾施設整備、農産物輸出のためのインフラ整備、九州、北陸、北海道の整備新幹線の早期建設、が盛り込まれるという。
2015年、日本の人口減少は過去最大の27万人に達した。全市区町村の83%で人口減、一方、東京は増加数、増加率ともにトップ、人口の一極集中が進む。地方創生、1億総活躍の掛け声は日々大きくなるが、国の在り方に関する方向性はまだ見えない。将来ビジョンを欠いた新幹線と港湾整備では再び未来へ負担を先送りかねない。
こうした中で告示された都知事選であるが、これまでのところ政党間の政争と内輪もめの場にしか見えない。「未来の日本における東京のあるべき姿」を政策として掲げ、都民に、そして、地方に問う候補者は見当たらない。
EU離脱を決めた国民投票から3週間、キャメロン氏からバトンを引き継いだテリーザ・メイ新首相は「国際社会において、大胆で新しい前向きな役割を築いてゆく」と決意を語った。東京は、「未来の日本、未来の国際社会にあって、どのような役割を担ってゆくべきか」、都知事選の争点の一つはまさにここにある。首都東京、国際都市TOKYO、についてのビジョンと施策を是非とも聞きたい。
バングデシュで発生した無差別殺人の犯人像や背景が徐々に分かってきた。裕福な家庭、最高レベルの教育、マレーシアへの留学経験など、エリートによる過激主義への傾倒が浮き彫りになってきた。
豊かな外界との矛盾や閉ざされたままの自国の将来を、極限的な暴力で切り拓こうとする身勝手な似非エリートは常に存在する。彼らは、正当化出来ない無法と暴力に正義と正統性を与え、それを権威付けるために宗教、思想、外敵を利用する。オウム然り、連合赤軍然り、である。つまり、日本においても“ホームグロウン・テロ”は他人事ではない。
5日朝、犠牲となった7人が無言で帰国した。犠牲者に対する弔意と犯行に対するやり場のない怒りが広がる中、「償わせる」だの「指1本触れさせない」などと政治家たちが息巻く。
1971年、独立したばかりの貧しく、混乱したバングラデシュの人々のために祈り、自ら行動したジョージ・ハリスンとは比べるべくもないが、この国の政治家たちの薄っぺらさと幼稚さに呆れる。威勢の良い遠吠えでは何も解決しない。
英国はEU残留の可否を国民に問い、国民は離脱を選択した。開票直後の高揚そして英国全体に漂い始めた“後悔”、突き放す独仏伊、動き出すスコットランド、北アイルランド、割れたままの議会、キャメロン氏を継ぐリーダーの不在、、、、世界中で株価と為替が揺らいだ。しかし、遠からずマーケットは収束するだろう。英国抜きのEUは、やがてそれが常態化するはずだ。
今回の英国の決定は、移民、世代間対立、民族主義、格差、EUの構造問題、という文脈で解説される。いずれも間違いではないし、背景は複合的だ。しかし、唯一確かなことは現状に対する大衆の不満が原動力となったことだ。そして、その先にあるのはサッチャー氏が再生させた「英国の終焉」である。グローバリズムと米国、EUとの関係性を梃に、かろうじて維持されてきた大英帝国の威信に自らの手で“幕を引く”決断をしたということだ。
混乱と停滞は当面続く。しかし、10年ではなく100年という時間軸の中で振り返ったとき、「2016年6月23日は “新自由主義”に代わる新たな世界観の出発点となった」と評されるかもしれない。13世紀、マグナカルタによって「法による支配」と「立憲主義」を世界に先駆けた英国の、未来からやってくる知恵に期待したい。
