今週の"ひらめき"視点
人気作家の“トレパク”問題、炎上。創作と模倣の境界はどこに?
漫画家でイラストレーターの江口寿史氏に対する“トレパク”批判がSNS上で過熱している。トレパクとは第3者が権利を有する写真やデザインを無断で“トレース”して商用利用する、つまり、他者の作品を“パクる”行為を言う。発端はルミネ荻窪のイベントポスターであるが、Zoff、デニーズ、セゾンカード、桜美林大学とのコラボ作品でも疑惑が指摘される事態となっている。
同様の問題は2020東京オリンピック・パラリンピックの公式エンブレムの選定プロセスでもあった。佐野研二郎氏がデザインした作品に模倣疑惑が生じると、氏の過去作品に遡って“元ネタ”との対照画像がネット上で次々とアップされた。結果、氏のデザインは採用中止となった。所謂“特定班”と呼ばれる匿名の有志たちによる“正義”の成果とも言える。しかしながら、結局のところ一人の作家を陽の当たる場所から遠ざけただけで、創作と模倣に関する議論が進んだとは思えない。
芸術作品では、第3者の知的財産の利用を一定程度認める“フェアユース”と第3者の知的財産をベースに新たな表現や価値を生み出す“アプロプリエーション”という概念がある。しかし、これらは常に著作権と表現の自由の間でせめぎ合う。この問題では写真家ゴールドスミスが撮影した肖像写真をもとに製作されたアンディ・ウォーホルの作品がゴールドスミス側から訴えられた裁判が有名だ。一審はウォーホル側が勝訴、二審はゴールドスミス、最高裁はゴールドスミスの訴えを認めた。
横に倒しただけの男性用小便器を「Fountain」(泉、1917)と名付けて展示したマルセル・デュシャンの作品を思い出していただきたい。国旗を描いた絵画なのか、国旗そのものであるのか、を問いかけるジャスパー・ジョーンズの「FLAG」(1954-1955)もまた創作と引用、創造と模倣の境界が主題である。今、デジタル技術の急激な進歩と普及により著作物の加工、修正、編集、複製に特別な技量は必要ない。誰もが著作者になれるし、同時に権利侵害者にもなり得る。それだけに“トレパク”問題を契機に生成AI時代における創作と権利に関する丁寧な議論を期待したい。著名な作家を追い込み、謝罪させ、留飲を下げるだけでは問題の本質には届かない。
今週の“ひらめき”視点 10.12 – 10.16
代表取締役社長 水越 孝
