今週の"ひらめき"視点

幻の手塚治虫作品、復刻。半世紀前に発表された作品が今を問う

6月8日、韓国の李在明大統領は、自衛隊と韓国軍との間で燃料や弾薬を融通し合う物品役務相互提供協定(ACSA)の提携について慎重であるべきとの考えを表明した。李氏は東アジアの安全保障環境が対立する方向に進むことに懸念を表明しつつ、一方でACSAの必要性に言及。ただし、「国民感情として受け入れることは難しい」と述べた。

国民感情とは、植民地化(1910年)、同化政策、戦前戦中における労務・軍務動員、講和条約発効に伴う国籍喪失(1952年)、これらに伴う苦難の記憶である。今、政治的にも民間レベルでも両国関係はかつてなく良好だ。それでも「本当の韓日関係を築くためにも、いつかは必ず整理されなければならない」と現大統領に語らせる“集合的記憶”は軽くない。

筆者がこのニュースに接したのは、法政大学出版局から6月2日に上梓されたばかりの手塚治虫の『ながい窖(あな)』の復刻版を読み終えたタイミングであった。1970年に発表され、全集にも収録されなかった本作は戦後、過去を秘して日本で成功した在日朝鮮人の姿を通して両国間の負の歴史を描いた作品である。それだけに李氏が使った“感情”という表現が深く響くとともにあらためて「歴史」「移民」について考えさせられた。

明治以降、日本はその時々の労働力需給によって移民の送り出しと受け入れを繰り返してきた。江戸末期3千万人程度であった人口は近代化とともに急増、人口過剰に苦慮した政府は南米、北米、中国大陸、南洋諸島に百数十万人を送り出す。戦中は労働力不足となり植民地から動員、戦後、在外日本人の大量帰還がはじまると中南米への移民送出を進める。そして、今、「技能実習」「育成就労」「特定技能」の名のもと海外から労働力を補充する。送り出し、受け入れ、いずれであっても「その地」でマイノリティとしての運命を背負うのは個人である。56年前初出の手塚作品が「差別」「共生」の意味を令和に問いかける。


今週の“ひらめき”視点 2026.6.7 - 6.11
代表取締役社長 水越 孝